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ちくわぶ 大成功?
2014 / 04 / 16 ( Wed )
 スーパーマーケットでお買い物中、
「ちくわぶ」が目に入った途端、無性に
「わあ、食べたい!」という思いがわき上がって、
ちくわぶを買って帰りました。

 夕飯にはちくわぶを入れた煮物を作り、
とてもおいしく出来上がりました。

 満足しながら食べていたところ、家族からも
「わあ、ちくわぶだ。
今日、ちょうど食べたいと思っていたんだ! うれしいなぁ」
と言われ、とても喜ばれました。

 何気ない日常の一コマにようにも思えますが、
とてもうれしい感謝と喜びに満ちた出来事でした。

「主よ。あなたは、
私たちのために平和を備えておられます。
私たちのなすすべてのわざも、
あなたが私たちのために
してくださったのですから。」
<イザヤ書26章12節>
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18:04:18 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
金針菜での失敗
2014 / 04 / 15 ( Tue )
 知人に会うために出かける際、
なぜか家にあったヤブカンゾウの蕾を乾燥させた「金針菜」を一袋、
持っていこうかと思い、手に取りました。

 けれども、小さいバッグを一つ持つだけの予定だったので、
その一袋はバッグに入りきらないことと、
知人にこの金針菜を差し上げても迷惑になるかしれないと思ったため、
せっかく手に取ったその袋をまた元に戻してしまいました。

 さて、知人に会って、いろいろ話を聞いている中で、
「ヤブカンゾウの蕾を初めて食べてみたんだけど、とてもおいしかったの。
欲しいんだけど、どこで売っているのかわからないのよ」と、
ここで金針菜の話を聞くことになりました。
そこで、「ああ、失敗した」と分かりました。

 その朝、出掛けに、「金針菜」を持って行くようにという思いが浮かんだのは、
神さまからの促しだったのでしょう。
それをよく吟味しないまま、
自分の勝手な都合による判断で置いてきてしまったのは、明らかに失敗でした。

 神さまの促しをしっかりと受け取って、金針菜を持って出かけて、
ちょうど金針菜を欲しいと話している知人に渡せたなら、
それは神さまが導いてくださること、為してくださることが
どんなにすばらしい喜びと祝福となるかを体験できる時となったことでしょう。

 知人には、その失敗談を話し、後日、金針菜をお送りすると伝えました。

「これもまた、万軍の主のもとから出ることで、
そのはかりごとは奇しく、
そおおもんぱかりはすばらしい。」
<イザヤ書28章29節>
12:17:36 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
激しく冷たい風から守られて
2014 / 04 / 14 ( Mon )
 午前中はだいたい慌ただしく時間が過ぎることが多いので、
出かける用事があるときは午後から出かけることが多いのですが、
先日、朝の用事を片付けている最中、神さまから、
今日は午後ではなく
午前中に出かけるようにと促されているように感じました。

 どういう事かはわかりませんでしたが、
午前中の用事はそのまま残しておいて、
とりあえず外での用事を済ませるために出かけました。

 出かけた先でも、往復する間にも
特別な事は何も起きませんでした。

 帰宅してお昼ごはんを食べて、しばらくすると、
それまでの穏やかな晴天とは一変し、急に激しい風が吹き始め、
怖く感じるほど風のうなりも聞こえ始めました。
外の様子を窺ってみると、
激しく吹きつける風はとても冷たくて真冬のようでした。

 それで、神さまが、今日は午前中に出かけるようにと
促してくださった意味がわかりました。

 神さまは、冷たく激しい風から私を守ってくださって、
外での用事を無事に済ませるようにしてくださったのです。

「私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。
私はその道を喜んでいますから。」
<詩篇119篇35節>
22:42:01 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
ナビゲーター
2014 / 04 / 13 ( Sun )
 どうしても午前中に速達で
郵便を出さなければならないことがありましたが、
朝早くから外出する用事があり、
地元の郵便局はまだ開いている時間ではなく、
速達を出すことができないまま出かけてしまいました。

 間に合って速達便を出すことができるように、
外出先でも郵便局をすぐに見つけることができるようにと
祈りつつ目的地に向かいました。
目的地に着くと、激しく雨が降ってきたので、
とりあえず、コーヒーショップに避難しました。

 すると、ちょうど腰を下ろした席の正面に、
その近隣の地図がおいてありました。
さっそく調べてみると、
そのコーヒーショップから100メートルほどの場所に
郵便局があることがわかりました。

 しばらくすると雨もやみ、
迷うこともなく郵便局にたどり着き、
無事、速達便を出すことができました。

 一つ一つの小さな事も神さまに頼り、祈っていくと、
こうして守りと助けを受けることができることの
恵みにとても感謝しています。

「わたしは、あなたがたに悟りを与え、
行くべき道を教えよう。
わたしはあなたがたに目を留めて、
助言を与えよう。」
<詩篇32篇8節>
22:31:53 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
回り回って 大きなバッグ
2014 / 04 / 10 ( Thu )
色が褪せたり、縁が擦り切れたり、
黴が生えてしまったり…。

長年使っていたいくつかのバッグも
同時期に交換時期が来てしまったようです。

いつものように、まずは神さまに祈り求めました。
「書類なども入れられる大きさの黒の革製のバッグを下さい」と。

先日、知人と一緒に伺ったお宅で、
帰りがけに黒の革製のバッグを2つ頂きました。
大きい方を知人に、小さい方を私にということでした。

感謝して、喜んで頂いて帰りました。
大きめのバッグを祈り求めていたのに、
小さいバッグを頂いたことも感謝しました。

ところが、帰る道すがら、知人が突然、
「あなたにはこちらの大きいバッグの方が似合うと思うんだけど」
と言ってきました。

私は、大きめのバッグを必要としていて
それを祈り求めていたことを正直に話しました。

すると、その知人は「交換しましょうよ」と言って、
大きいバッグと交換してくださいました。

最初は小さい方を頂いたのに、感謝したときに、
不思議とも思えるような導きで、
祈り求めていたものが回り回って私の手元にやってきました。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです。」
<テサロニケ人への手紙第一5章16~18節>
20:15:22 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
反対の反対?
2014 / 04 / 09 ( Wed )
とてもすばらしい神さまの導きの中で、豊かな愛と恵みを受け、
感謝と喜びに満たされていた日のことです。

夜、聖書を読んでいたところ、
「あなたは反対のことをしたのです」
というみことばが心に深く入ってきました。

何か神さまの御心と違うことをしてしまって、
神さまがそれを指摘し叱責しておられるのかと思い、
一瞬、身がこわばるような思いがしましたが、
そうではないような気もしました。

確かに語られたみことばですから、
よくわからないままで逃げるわけにはいきませんでした。

その夜と、翌朝の祈りの時間には、
「もし、神さまの御心に反することをしてしまったのなら、
その事を明らかにしてくださり、悔い改めに導いてください。
そして、してしまった間違いを益に変えてくださり、
祝福に変えてください。
また、私がしてしまったことで
どなたかに迷惑がかかったりしたのなら、
神さまがそれを益に変えてくださり、
その方を祝福してください」と、
かなり必死に祈っていました。

すると、神さまが一つずつ想い起こさせてくださいました。
それは、ある集まりに参加した時、
まず主催者の方に長年の不義理をおわびをしたこと、
招待状がないにもかかわらず
集まりに参加させていただけたことを感謝したこと、
当然のように末席に着いた私に
「あなたはもっと上の席へ行くべきよ」と
ほかの参加者からどんどん上の席へ移動させられたこと、
とても大切な方との再会が祝福されたこと、
体の痛みを訴えてきた人たちのためにいやしの祈りをしたこと、
ひどい言葉を投げつけられた方のために
とりなしの祈りをしたことーなどでした。

その一方、主賓席に座しておられたのは
別の宗教の方で高名な方でしたが、
その集まりの主催者のお名前を
まったくの別人と間違って披露したほか、
真っ赤な顔になるほどお酒に酔い、
あるご高齢の参加者に向かっては
「来年は桜も見られないかもしれませんね」
「逝くときは、”ぽっくり”とね。
長く患うと家族も国も医療費が大変だからね」
などと笑ったのです。

あまりの失言、暴言の連続で、
参加者の方々は呆れ、心を傷めていました。

つまり、私がした「反対」のこととは、
神さまの御心と「反対」のことではなく、
この方がしたこととは「反対」のことだったとわかりました。

語られたみことばを深く黙考し、
神さまに祈り聞き求めたことで、あらためて、
神さまの御心に反することをしてはならないことを教えられました。

そして、さらに神さまを正しく畏れ、崇め、
神さまの御心だけを行いたいと願う気持ちが強められました。
それがさらに多くの方々の救いと祝福にもなるのですから。

「わが子よ。私のことばをよく聞け。
私の言うことに耳を傾けよ。
それをあなたの目から離さず、
あなたの心のうちに保て。
見いだす者には、それはいのちとなり、
その全身を健やかにする。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。」
<箴言4章20~22節>
17:22:15 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
すごすぎるおまけ
2014 / 04 / 08 ( Tue )
ふだん履けるような黒の革のパンプスを祈り求め始めました。

「どうしたらいいか、まず神さまに聞いてみましょう」
「必要なものは、まず神さまに求めましょう」など、
教会の礼拝のメッセージでよく聞いていますので、
まずは神さまに祈り求めたのです。

神さまに祈ること自体が信仰の行いであり、
その信仰の行いである祈りが聞かれて
神さまが生きて働いておられることを体験していくことで、
さらにその信仰は強められていくからです。

祈り始めて数日後のことでした。
ある方のお宅に伺った時に黒の革靴をプレゼントされました。
しかも、1足ではなく2足も!です。
色も形も大きさも願っていたとおりのものでした。

祈り求め始めたった数日しかたっていないのに、
もう祈りの答えを見ることができるなんて
ととても驚き、感謝して、喜んで頂きました。

すると、「じゃあ、もう1足!」と言って
ベージュ色の革のウオーキングシューズも
プレゼントしてくださいました。
とても履きやすそうで歩きやすそうな靴でした。

ほかの人から、
「あら、その靴はとっても高価でいい靴なのよね」
と言われるほどのすばらしい靴のようでした。

神さまは、祈りを聞いてくださり、
そして、祈り求めていた以上の
すばらしいおまけまで付けてくださいました。

「後の雨の時に、主に雨を求めよ。
主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、
野の草をすべての人に下さる。」
<ゼカリヤ書10章1節>
18:12:38 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
涙と抱擁の再会
2014 / 04 / 07 ( Mon )
「一緒に行きましょうよ」と熱心なお誘いメールが、
ある集まりの前日、その参加者のお一人から何度も届きました。

私はその集まりへの招待状をもらっていないことを
知っているにもかかわらず、です。

参加したい気持ちはあっても、
参加できない理由は山ほどありました。

最初は断っていましたが、
これほど熱心に誘ってくださることの背後には
何か神さまの大きな御心があるのではないかと思いました。

そして、参加できない条件が1つずつクリアされるように祈り始めると、
次々とクリアされてしまいました。

祈ってみた感触からも、聖書を通してみことばから語られたことからも、
参加することを神さまが導いておられることを感じました。

そして、夜9時、最後の確認だと思い、
その参加者の中の最長老の方に電話をかけてみました。

「明日、集まりがあるようですが」と話を切り出した途端、
すぐさま「あなたもいらっしゃいよ!」と誘っていただき、
すぐに主催者にもその旨を伝えてくださるなど、
あっという間に全てが整えられました。

しかも、その直前に1名のキャンセルが出たというので、
私が突然参加することになっても、
何の問題もないということもわかりました。

主催者の方は私にとっては実の姉妹のような存在で、
とても大切な方です。

お互いにそれを口に出すこともしないタイプでしたが、
それでもお互いにその事はわかり合っているとも感じていました。

ところが、こちらが不義理を重ねてしまっていたこともあり、
何年もの間、交流が途絶えてしまい、
ずっと申し訳なさと寂しい思いを抱えていました。

さて、当日、その集まりに行くと、
遠くから真っ先にその女性の姿が眼に留まりました。

すぐにその方も駆け寄ってくださったので、長年の不義理をおわびし、
この集まりに参加させていただけたことのお礼を伝えました。

お互いに手を取り合い、抱擁して、
後はただただ涙が出るだけでした。

その集まりが終わり、散会となりましたが、
お互いが別れがたくて、何度も何度も手を取り合い、抱擁し合っては涙を流し、
泣いては笑い、笑っては泣くことを繰り返していました。

私たちを知っている方は、
「人の前で涙を見せたことなどない人が!」とか
「あんなに感情を表すのは初めて見たわあ!」
などと私たちの様子を見て驚いていました。

熱心に私を誘ってくださった方は、
「こんな感動が用意されていたなんて、
何てすばらしい一日だったことでしょう。
何て幸せな一日だったことでしょう」
と喜び、感慨深げでした。

その方とは帰り道も途中まで一緒でしたが、
その感動を想い起こすたびに、二人とも涙があふれてきて、
そこでも泣いては笑い、笑っては泣き…を繰り返していました。

今回の集まりに、その大きく深い愛をもって招いてくださり、
大切な方との再会を与えてくださり、
その交わりをさらに祝福されたものとしてくださった
神さまにあらためて深く感謝しました。

「涙とともに種を蒔く人は、
喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、
束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」
<詩篇126篇5,6節>
15:34:18 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
昇格!
2014 / 04 / 06 ( Sun )
 神さまに祈り求め、
祈った全ての条件が満たされて
始めることができた習い事ですが、
自分の無力さを覚え、
「もう、やめようかな」などと
弱気になる時がありました。

 でも、「神さまがせっかく開いてくださった道なので、
やめないように、慰めと励ましを与えてください」と祈ったところ、
それを知らない家族からうれしい言葉を掛けてもらい、
それが力となって、今まで習い事を続けてこられました。

 年に数回ある定期の昇格試験を迎えましたが、
今回はもう提出することさえできないかもしれないと思う状況でした。
それでも「神さま、何とか助けてください」と祈りつつ、
やっと作品を仕上げて提出することができました。
もちろん、「御心なら、昇格させてください」とも祈りました。
そして、全てを委ねた後は平安で過ごしました。

 1か月後、うれしいことに昇格の知らせが届きました。

 状況が厳しいときこそ、自分の力が弱いときこそ、
神さまのあわれみと恵みを受け、
祈りが聞かれることを体験することができるというのも、
これもまた大きな恵みです。

「主よ。あなたは、
私たちのために平和を備えておられます。
私たちのなすすべてのわざも、
あなたが私たちのために
してくださったのですから。」
<イザヤ書26章12節>
12:22:41 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑
新たな門出に 愛と祝福
2014 / 04 / 05 ( Sat )
 4月。多くの方々が希望と期待とちょっとの緊張を胸に
新しい歩みを踏み出す時です。

 今年は、そのような若者の一人を
共にお祝いして送り出すことができました。
このようにできたことで、
その方のために少しでもお役に立てたのではないかと
感謝し喜びました。

 ところが、そう思った瞬間、
この事は私のためでもあったことに
神さまが気付かせてくださいました。

 実は、今から数年前、
息子が大学進学のために家から巣立ったときは、
親として何もしてやることができず、
住まいも決まっていない息子はスーツケース一つを持っただけで
見知らぬ地に向かって家を後にしました。
まさに「信仰」による歩みではありましたが、
親としてはずっと胸が傷んでいたのです。

 ですから、今回、新たに踏み出す若者を
お祝いして送り出すことができたのは、
その人の祝福のためだけではなく、
私にとってもいやしと慰めが与えられ、
祝福ともなったことに神さまが気付かせてくださったのです。

 何年もの胸の傷みがいやされただけでなく、
あらためて神さまの愛の深さと、
恵みと祝福の多様さを思うことができました。
今、神さまへの感謝と喜びの気持ちでいっぱいです。

 新たなる歩みを始めたお一人お一人が
神さまの深く大きな愛で満たされますように。

 神さまのあふれんばかりの
豊かな恵みと祝福で満たされますように。

「主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、
あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」
<詩篇37篇4~6節>
11:10:30 | 2014年春 | コメント(0) | page top↑

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